下書きの間に時が過ぎてしまいもう数週間前なんですが、子どもが5歳半、2歳半になるとともに私は43歳になりました。
30代の時も思いましたが、32,42まではまだ30歳,40歳の延長のようだったのが、33,43になるといよいよ感出てきます。まごうことなき40代!そしてまどう四十路!
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年始に仕事やキャリアについてのヒアリングを受ける機会があり、それに向けて色々考えてるうちに、私の人生このままでええんかなぁとモヤモヤするようになってました。
時短なのに家事育児は夫の方がやってくれてるぐらいだし、仕事もマイペースで働けるのは有り難いけどルーチンワークで「キャリア」なんて言葉とは無縁。バリバリ働くぞーと東京に出てきたのにこのまま朽ち果てていくのかー、、って思い悩むうちに気づいた。これ、ミッドライフクライシス(中年の危機)や。
中年の危機 - Wikipediaに載ってる「自己の限界の自覚」「自身の経済的状況や社会的ステータス、健康状態に対する憂鬱、不満や怒り」、これやな。
でもそれを解決するためにじゃー今からバリバリへ軌道修正する?と考えると、気力・体力・環境すべて足らない。子どもがいるという環境のせいではなく、それ以前にそんな気力も体力もない。
そもそも独身が長かったので軌道修正する期間は十分あったのにしなかったことが要因。だけど、それを今責めても仕方ないし、当たり前だけどそうしてたからと言ってうまくいったとも限らない。
じゃーバリキャリがひっかかるのはなぜ?人生においてこういう道もあったかもと思うのが唯一ここなので、こだわってるのかも。でも色々考えてみたけど、ほとんどは何かカッコイイ!という単なる憧れでしかないという結論。
しかもこういうのって「外から見たいいところ」だけで、中の人の実際は自己研鑽を続けてステップアップして大変なんよね。憧れ以外の部分はその努力ができてない自分が嫌な気持ちかな。できない自分を認めるって難しい。
ただ結果論としては夫を見てると私にはこの働き方は勤まらないと思うし、夫婦ともだとなおさらで、なるべくしてなったのが現状かなと思うんですけどね。
APU学長の出口さんが、50になってまだ社長になるかわからんなんてことはめったになく、50になったらだいたい先が読める、というようなことを言ってて、こんな風に思い悩むのもそこへ向けての過渡期なのかなと思います↓↓
【これからについて】
この前、ゆっくり歩いてるお年寄りを見て「一度でいいからもう一度若い頃のように思いっきり走りたい」と思うことがあったりするのかなとふと思って、中年期はそこへ向けて「がんばらない」練習やなと思ってたんですけど、
麒麟川島が引退について「今が折り返しやん」て言うてて、誕生日一ヶ月違いとしてはせやんなぁという思い。
— コル (@spaghettino) 2022年1月28日
こんな風に感じたりもして、老け込むにはまだ早い気もしてきた。まー男性の40過ぎなんてほんとまだ若いと思うので女性と違いはあるとは思いますが。
がんばらんと決めつけることもなく、がんばらなあかんと思うこともなく40代を過ごしていこうかと思います。
誕生日に子どもたちが選んでくれたレインボーカーネーション。こんなん誰が買うねんと思ってたけど、子どもが選んだとなると嬉しい。