子育てには関係ない上に(それ自体はしょっちゅうやけど)他人の話やし、と何度か書こうとしてやめたのが今日の内容です。
私がいわゆる「毒親」って本当にいるんだな、とわかった時のこと(そして長い自分語り)なので、NGな方は回れ右!なさって下さい。
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私は20代は仕事で苦労したと思ってたし、30代前半は自活して一人で生きてるような気になってました。
が、40になって気付いたことは、自分はなんて平々凡々と暮らしてきたのか、そして人の気持ちに敏感な方だと思ってたけど、実は無神経なのではということ。
それに気づいたのが掲題の友達の存在です。
彼女は新卒で入った大阪の会社の同期で、特に仲良くなったのは私が東京に来た後に彼女も来てから。
激しい性格で仕事をすぐやめたり、変わったものが好きだったりもしましたが、身の回りのエピソードがおもしろく、会う度新鮮でした。
ルームシェアもしましたが、些細なことで彼女がキレて解消。でも不思議なことにその後も仲良くしてました。
母親の話しはちょいちょい出てきてて、そんな親いるのか!?と思うようなことばかりですごく反発してるのに、いつも気にかけてしょっちゅう連絡取ってるのが不思議でした。私は今思うとほんと鬱陶しいんですが、自分の思うこと(正論)を説いてました。
親は大切にしないといけないと思ってたし、家族は助け合うものだと思ってたし。
が、彼女のお姉さんが母親の影響で病気になり、彼女が生体肝移植までしたものの助からず、その時のその母親の反応が決定的で(病気になったのがお兄さんでなくてよかった、自分がドナーに適合しなくてよかった、あんな子いなくなってよかった、と言った)あ、逃げた方がいい親っているんだ、と初めて心から思いました。
しばらくしてその母親は彼女へのあてつけのように自死しました。
ルームシェアしてた時「アンタがいればいい」と言われたことがあり、依存されてたのかもしれません。その時は母親との関係も落ち着いてたし。そして私は単純に一緒にいると楽しいと思ってたけど、すごく気を遣われてたのかもしれません。全然気づいてなかったけど。
その後は仕事を辞めたり就いたりだけでなく、結婚したり別れたり、また結婚したりし始め、数年前に「妊娠したみたい」と連絡があったのが最後です。
私は能天気によかったね、と喜んでましたが、その当時の行動を思い返すと今で言うマウンティングてやつだったのかもしれない。依存対象でなくなって攻撃対象になってしまったのかな。
その頃私も結婚して、また連絡あるだろうと放っておいたのと、他の友達から距離をおいた方がいいと言われたのもあり、それっきりになりました。
ルームシェア解消後「真っ当な人といると自分もまともになれそうな気がしてた」と言われたことがあって、(真っ当=平凡・普通ということだと思う)何かできなかったのかとの思いも残りますが、今はいつかお互い幸せに再会できるといいな、と無難なことしか思えません。
彼女がお姉さんとは違い、生きのびてくれることを願うばかりです。